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黒安/短編集/A5/28P/400円 (本文より)  かちり、かちり、  壁掛け時計の刻む、規則的な音。  黒田の執務室には、相変わらず、物が少ない。  シンプルな部屋だ――以前訪れた時にも、感じたことだが。  あれから変わったものがあるとすれば、パソコンの脇に未処理の書類が小さな山を作っていることと、それから――……。 (…………)  どうしたって目に入るのは、デスクの上に飾られた小さな木製の写真立てだ。  向き合う降谷の側からは、裏面しか見えないけれど、黒田が執務室に持ち込むほどのものなのだから、大切にされているのだろうことは分かる。  被写体が何――或いは誰――か、問うてもいいものだろうか……、  そんな場違いなことを考えていたのが、伝わったのだろうか。 「……降谷」  ふと、黒田が、読んでいた書類から顔をあげた。  その動きが、きっかけだったのか。  微かに香る、煙草のにおい。 「は、はい……、……なんでしょうか」  柄にもなくどぎまぎとしながら、 「なにか、不備でも……?」  デスクにばさりと置かれた書類に、気まずく目を向ける。  降谷がここを訪れたのは、とある任務の成果を報告するためだ。  少なくとも、黒田の私情を探るためではない。  僅かに逸らした視線。  それに、気付かれたのだろうか。  トリプル・フェイスを巧妙に使い分ける降谷ですら、この上司に関してだけは、誤魔化そうとして誤魔化せた例がないのだ。  黒田の目が、僅かに細められる。  きゅ、と小さく足の下で床が鳴った。  とはいえ、それは、黒田が椅子を引く音に紛れてしまって、その耳には届かなかっただろうけれど。  揺れる気配。  こつりと近づいてくる足音。 「す……みま、せ……」  紡ぎ出そうとした謝罪の言葉は、 「……ご苦労だったな、降谷」  目を細める黒田の声に、半端なところで遮られてしまった。  腕を引かれ、前のめりに崩れるバランス。 「か……管理官?」  疑問は、全身を強く包み込む、煙草の香りでかき消される。 「動くな」 「…………?」  黒田の命令とあれば従うのに否やはない。  だが――……、  全く、意図が読めない。  何のつもりなのか、  降谷がそう訊くより早く、黒田は動いていた。  降谷のそれより一回り大きい黒田の掌が、包み込むように頬に触れる。  耳の形をなぞるようにして肌を滑る黒田の指先に、びくりと肩が震えた。 「降谷」  咎めるように名を呼ばれ、 「……だって」  小さく唇を尖らせる降谷の耳に、黒田の静かに笑う声が届く。 「これは、ご褒美だ」 「ご褒美って……」 「こうされるのが、好きだったろう?」  髪に潜った指先が、降谷の丸い後頭部を、ゆっくりと撫でていったかと思えば、そのまま、強く肩を抱き寄せられる。 「もう……」  一体、いつの話をしているのだ。この人は。  降谷には、幼少の頃に数年間、黒田のもとに預けられていた時期があった。  確かに、当時の降谷は、黒田に自分を認められたくて、あれもこれもと目につくもの全てを必死でこなしていたように思う。 ――多分、きっと、滑稽なほど。  あまり口数の多くない黒田だからこそ、たまにこうして褒められるのが嬉しくて。  今にして思えば、黒田だって、当時、突然預けられた上司の子供に、どの程度の距離感で接するべきか測りかねていたのだろうけれど、ともかくあの頃の降谷は、スキンシップに飢えていた。  でも――……、 「子供じゃないんですから、こんなことされたって……」 「嫌か……?」 「嫌ではないですけど……」  黒田の中で、自分はまだ小さな子供のままなのだろうか。  そう思うと、少し悔しい。  それに。 「その……」  ちらりと、背後を振り返る。  部屋の扉は、降谷の入室時のまま――。  きちんと閉まってはいるけれど、当然、施錠はされていない。  もし、今、ここに誰かが来たら――……、  要らぬ誤解を招くに決まっている。 (……これは、そんなんじゃないのに……) ――いやいや、そんなって、どんなだよ。 (どんなって、そりゃ……)  よしておけばいいものを――【そんな】の部分をつい詳細に思い描いてしまったせいで、異様に顔が熱くなる。  きっと、首筋から耳朶まで、真っ赤になっているに違いない。  色白でなくてよかったと、こんな時は、心底そう思う。 「恥ずかしい、です……」  触れられるのが、嫌なわけじゃない。  褒められるのが、嫌なわけじゃない。  だけれど――……、 「降谷」 「……だって」 「本当に成長しないな、お前は」  好意は素直に受け取れ、と。  掬い上げられた、耳元の毛先。  どんなに押さえつけても悪戯に跳ねるそれを、黒田はいつも、『まるでお前そのものだな』などと笑っていたものだ。 (一部抜粋)

黒安/短編集/A5/28P/400円 (本文より)  かちり、かちり、  壁掛け時計の刻む、規則的な音。  黒田の執務室には、相変わらず、物が少ない。  シンプルな部屋だ――以前訪れた時にも、感じたことだが。  あれから変わったものがあるとすれば、パソコンの脇に未処理の書類が小さな山を作っていることと、それから――……。 (…………)  どうしたって目に入るのは、デスクの上に飾られた小さな木製の写真立てだ。  向き合う降谷の側からは、裏面しか見えないけれど、黒田が執務室に持ち込むほどのものなのだから、大切にされているのだろうことは分かる。  被写体が何――或いは誰――か、問うてもいいものだろうか……、  そんな場違いなことを考えていたのが、伝わったのだろうか。 「……降谷」  ふと、黒田が、読んでいた書類から顔をあげた。  その動きが、きっかけだったのか。  微かに香る、煙草のにおい。 「は、はい……、……なんでしょうか」  柄にもなくどぎまぎとしながら、 「なにか、不備でも……?」  デスクにばさりと置かれた書類に、気まずく目を向ける。  降谷がここを訪れたのは、とある任務の成果を報告するためだ。  少なくとも、黒田の私情を探るためではない。  僅かに逸らした視線。  それに、気付かれたのだろうか。  トリプル・フェイスを巧妙に使い分ける降谷ですら、この上司に関してだけは、誤魔化そうとして誤魔化せた例がないのだ。  黒田の目が、僅かに細められる。  きゅ、と小さく足の下で床が鳴った。  とはいえ、それは、黒田が椅子を引く音に紛れてしまって、その耳には届かなかっただろうけれど。  揺れる気配。  こつりと近づいてくる足音。 「す……みま、せ……」  紡ぎ出そうとした謝罪の言葉は、 「……ご苦労だったな、降谷」  目を細める黒田の声に、半端なところで遮られてしまった。  腕を引かれ、前のめりに崩れるバランス。 「か……管理官?」  疑問は、全身を強く包み込む、煙草の香りでかき消される。 「動くな」 「…………?」  黒田の命令とあれば従うのに否やはない。  だが――……、  全く、意図が読めない。  何のつもりなのか、  降谷がそう訊くより早く、黒田は動いていた。  降谷のそれより一回り大きい黒田の掌が、包み込むように頬に触れる。  耳の形をなぞるようにして肌を滑る黒田の指先に、びくりと肩が震えた。 「降谷」  咎めるように名を呼ばれ、 「……だって」  小さく唇を尖らせる降谷の耳に、黒田の静かに笑う声が届く。 「これは、ご褒美だ」 「ご褒美って……」 「こうされるのが、好きだったろう?」  髪に潜った指先が、降谷の丸い後頭部を、ゆっくりと撫でていったかと思えば、そのまま、強く肩を抱き寄せられる。 「もう……」  一体、いつの話をしているのだ。この人は。  降谷には、幼少の頃に数年間、黒田のもとに預けられていた時期があった。  確かに、当時の降谷は、黒田に自分を認められたくて、あれもこれもと目につくもの全てを必死でこなしていたように思う。 ――多分、きっと、滑稽なほど。  あまり口数の多くない黒田だからこそ、たまにこうして褒められるのが嬉しくて。  今にして思えば、黒田だって、当時、突然預けられた上司の子供に、どの程度の距離感で接するべきか測りかねていたのだろうけれど、ともかくあの頃の降谷は、スキンシップに飢えていた。  でも――……、 「子供じゃないんですから、こんなことされたって……」 「嫌か……?」 「嫌ではないですけど……」  黒田の中で、自分はまだ小さな子供のままなのだろうか。  そう思うと、少し悔しい。  それに。 「その……」  ちらりと、背後を振り返る。  部屋の扉は、降谷の入室時のまま――。  きちんと閉まってはいるけれど、当然、施錠はされていない。  もし、今、ここに誰かが来たら――……、  要らぬ誤解を招くに決まっている。 (……これは、そんなんじゃないのに……) ――いやいや、そんなって、どんなだよ。 (どんなって、そりゃ……)  よしておけばいいものを――【そんな】の部分をつい詳細に思い描いてしまったせいで、異様に顔が熱くなる。  きっと、首筋から耳朶まで、真っ赤になっているに違いない。  色白でなくてよかったと、こんな時は、心底そう思う。 「恥ずかしい、です……」  触れられるのが、嫌なわけじゃない。  褒められるのが、嫌なわけじゃない。  だけれど――……、 「降谷」 「……だって」 「本当に成長しないな、お前は」  好意は素直に受け取れ、と。  掬い上げられた、耳元の毛先。  どんなに押さえつけても悪戯に跳ねるそれを、黒田はいつも、『まるでお前そのものだな』などと笑っていたものだ。 (一部抜粋)