よんばんめのシリウス
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クロクル/116P/R-18/¥1000 pixivで連載している「よんばんめのシリウス」をまとめた加筆修正版です。 年齢操作/過去捏造/痛い系の表現有り なんでも許せる人向け (本文より) ディアが言うには――だ。 この学園に引き取られて来た当時の俺は、まだたった五つの仔犬だった――らしい。 新しい学年が始まる直前の、夏の盛り。酷く蒸し暑い夜だったことだけは、覚えている。 あの日は、窓の外の音が何も聞こえないくらい酷い雨が降っていた。それで、真っ黒な馬車が狭い道を曲がってきたときも、ディアがあの地獄のような場所の扉を開けてくれたときも、俺は鳴り響く雷鳴に怯えて、きつく耳を塞いでいたのだ。 その男は――ディアは、ご主人様と少しばかり――何か――怒鳴りあうように――話していたけれど、言い争いの中で俺の名前が出るたびに、俺は震えて小さくなることしかできなかった。 期待など、最初からなかった。どうせまた、貰われていくのは弟たちの中の誰かなのだ。 俺に希望は許されなくて、この人が俺を連れて行かないなら、処分される運命だった。 もうずっと脅され続けてきたことが、とうとう現実になる。 ――もう、この次はない。 父親に殺されるか、 ごしゅじんさまに殺されるか。 それともほんとうに、 俺はこの存在自体要らなくて、 ――道端にゴミのように捨てられるのか。 震える身体を抱きしめて、俺は必死で泣き声をこらえていた。母親に甘えて縋るには、もう大きくなりすぎていたし――泣いて喚いて縋ったところで、俺の味方になってくれる『誰か』なんて、現れるはずがなかった。 ――俺は、要らない子供。 あの頃の俺は、頭から、そう信じていた。 だから。 「君が、私のディーですか?」 目の前に差し伸べられた手を見ても、俺は耳を押さえる手をすぐにはどけられなかった。 醜い姿を見られたくなかった。 獣の姿の俺の両耳は、父親の牙と爪とで何度も裂かれ、左の聴力に至っては、もう魔法でも治療薬でも元には戻らないと言われていた。 でもそれよりも、俺が嫌いだったのは、いびつな形のままの右耳のほうだ。 誰も彼も、この傷ついた耳のせいで、俺を気味悪がったから。 それなのに、ご主人様の家にいる間、俺は人の姿になることを強く禁じられていた。 ――父親が、興奮するから。 そう――人の姿でいるときの俺は、それほど本当に母親そっくりだったのだ。 だから、俺は、醜いまま――誰にも愛されないまま、獣の姿で震えている。 ――それだけしか、許されない。 それが俺にとってどれほどの痛みだったか――屈辱だったか――きっとほんとうには、誰にもわかるまい。 ディアでさえも、無神経に言うのだろう。 『あの頃も君は可愛かったですよ』 などと。 でも。 俺にとっては、そういう問題ではなかった。 「ねえ、君。顔をあげてくださいな」 おそるおそる見上げると、ディアは仮面の向こうから、俺に小さく笑ってみせた。 「君は、雨の日が嫌いですか?」 「…………?」 「私と来ますか? ちっちゃなハニー」 「……う……?」 すっと差し出された手の下に、おそるおそる、姿勢を伏せて潜り込む。 媚びて振ろうにも俺にはその尻尾すらなく、そうすることが唯一示すことのできる服従の――彼の手に身を委ねるという――意思表示だった。 「ああ、いい子ですね。私のディー」 「……ぐっぼい……?」 「ふふ。そうですね。君はとてもいい子ですよ」 「……ぐっぼい……」 GOOD BOY。 そう言われるのは、いつ以来だったろう。褒めて貰えることも、撫でて貰えることも、俺には不思議で仕方がなかった。じっと蹲って動かずにいたら、ディアはひょいと俺を抱き上げて、 「おやおや、どうしたんですか」 そっと俺の首の後ろを撫でたのだ。 「もう泣きべそはおよしなさい」 ふわふわと浮くような、不思議な気持ち。 「さあ行きましょうか、可愛い子」 俺のことを『ディー』と呼ぶ、ディアの柔らかな声に抱かれて、俺はようやくあの地獄から抜け出した。 「眠っていてもいいですよ。君が起きる頃には、馬車もあちらに着いているでしょう」 けれど、揺れる馬車の中でも、俺の不安は少しも消えなかった。ディアが俺を迎えに来た死神ではないなんて、そんな保証はどこにもなかったからだ。 体力の限界がきて眠りに落ちるまで、俺はディアの膝の上で泣きながら、同じ言葉をずっと繰り返していた。 ごめんなさい、 捨てないで、 ――ディーはまだ、死にたくない。 数日ぶりに声を出した喉の奥から、びりびりと全身を引き裂かれるような気がしていた。 (一部抜粋)